仙台高等裁判所 昭和27年(う)825号 判決 1952年12月06日
控訴人 福島地方検察庁検察官 三浦節三
被告人 武田三雄
弁護人 篠塚宏
検察官 馬屋原成男関与
主文
原判決を破棄する。
被告人を懲役四月に処する。
原審における未決勾留日数中参拾日を、右本刑に算入する。
原審及び当審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。
理由
福島地方検察庁検察官三浦節三の控訴趣意及びこれに対する弁護人篠塚宏の答弁は、それぞれその提出の控訴趣意書及び答弁書記載のとおりであるから、これを引用する。以下これについて判断する。
同控訴趣意第一点について。
刑法第五十四条第一項の観念的競合犯において、その最も重い罪につき定めた刑を以て処断する場合の刑は、同法条の精神上、他の軽い罪につき定めた刑の最下限より以下にこれを下すことを得ないものと解するを相当とする。
即ち、刑法第五十四条第一項にその最も重い刑を以て所断すと規定しているのは、数個の罪名中最も重い刑を規定した法条を適用処断するの謂ではあるが、その故を以て、直ちに、該法条を適用処断する場合の刑が、同法条の所定刑内である限り、いかなる刑種、刑期、又は金額を選定するも自由であるとは解し難い。観念的競合犯は数個の罪が包括的にその最も重い罪の刑を以て処断されるというだけのことであつて、軽い罪が重い罪に吸収されて独立性を失うというのではないから、最も重い刑を規定した法条を適用処断する場合の刑は、他の軽い罪につき定めた刑の最下限により制約せられるものと解するのが相当であつて、刑法第五十四条第一項がその最も重い刑を以て処断すべきものとする法の精神もここに存するものといわねばならない。(改正刑法仮案第七十九条参照)
本件の刑法第九十五条の公務執行妨害罪と同法第二百四条の傷害罪との観念的競合犯においては、その比較対照上、傷害罪の刑を重しとするけれども、その罪につき選択刑として定められている罰金以下の刑は、軽い罪たる公務執行妨害罪につき定められている刑の最下限たる三年以下の禁錮の刑よりも更に軽いものであるから、重い傷害罪につき定められた刑を以て処断する場合の刑は、同罪の所定刑中罰金以下の刑を選択することが許されず、常に、同罪所定の懲役刑の範囲内において処断しなければならないものというべきである。
されば、右の場合において罰金刑を選択処断した原判決は、判決に影響を及ぼすことが明かな法律の解釈適用を誤つた違法があり、破棄を免れない。
論旨は理由がある。
しかして、原判決は右の公務執行妨害及び傷害の罪と他の傷害の罪とを併合罪として一箇の刑を科しているのであるから、全部これを破棄すべきものである。
同第二点について。
仮に、原審の如く、観念的競合犯において重い罪につき定めた刑を以て処断する場合の刑は何等の制約をうけないとの解釈をとつても、本件において記録を精査し、そこに現れた一切の事情を考慮し特に所論の点に鑑みるときは、原判決が被告人に対し罰金刑を選択処断したのは、その量刑が相当であるとは認められない。原判決はこの意味においても破棄を免れない。
仮定論に立つこの論旨も理由がある。
そこで、刑事訴訟法第三百九十七条第三百八十条第三百八十一条第四百条但書により、原判決を破棄して自判する。
原判決の確定した事実に法律を適用すると、被告人の原判示所為中、公務執行妨害の点は刑法第九十五条第一項に、各傷害の点は同法第二百四条罰金等臨時措置法第二条第三条に該当するところ、原判示第一の公務執行妨害と傷害とは一個の行為で二個の罪名に触れる場合であるから、刑法第五十四条第一項前段第十条により、重い傷害の罪の刑に従い、所定刑中いずれも懲役刑を選択し、以上は同法第四十五条前段の併合罪であるから、同法第四十七条第十条により、犯情の重いと認める渡辺春治に対する傷害の罪の懲役刑に併合罪の加重をなし、その刑期範囲内で、被告人を懲役四月に処し、同法第二十一条により、原審における未決勾留日数中三十日を右本刑に算入すべく、原審及び当審における訴訟費用の負担につき刑事訴訟法第百八十一条第一項を適用する。
よつて、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 村木達夫 裁判官 檀崎喜作 裁判官 細野幸雄)
検察官の控訴趣意
第一点原判決は法律の解釈適用を誤つた違法がある。そしてその違法は判決に影響を及ぼすことが極めて明瞭であり、かつ著しく正義に反するものと認めざるを得ない。即ち原判決は「被告人の判示行為中、公務執行妨害の点は刑法第九十五条第一項に、各傷害の点は同法第二百四条罰金等臨時措置法第二条第三条に該当するところ、判示第一の公務執行妨害と傷害とは一個の行為にして数個の罪名に触れる場合であるから、刑法第五十四条第一項前段第十条により重い傷害の罪に従い所定刑中孰れも罰金刑を選択し、以上は刑法第四十八条第二項に依り各罪につき定められた罰の合算額の範囲内において被告人を罰金八千円に処する。」と判示している。問題は本件公務執行妨害、傷害の想像的(又は観念的)競合罪に刑法第五十四条第一項前段第十条を適用して処断するに際つて、刑法第五十四条第一項の解釈上果して罰金刑を以つて処断することが許容されるか否かの一点に帰着する。
仍つて刑法第五十四条第一項に関する解釈について詳細なる検討を試みるに
(一) 刑法第五十四条第一項により最も重き刑を以つて処断する場合には、各罪名に於ける法定刑を以つてこれが比較に供すべきものであるから、法定刑に選択刑の定めがある場合であつても其の重い刑を以つて比較に供し軽重を決定すべきものであつて法定刑中軽いものを選択する余地がないものであること、即ち同条に所謂重き刑という意味は刑を抽象的に比較対照して、数個の罪名に科せられた数個の法定刑中最も重い刑を指し、具体的に判断された処断刑の軽重によるべきでないことは大審院判例、最高裁判所判例によつて既に明示されているところである。(イ)昭和九年(れ)五〇五号同年七月二三日大審院刑事第一部判決、(ロ)同一〇年(れ)九五九号同年一〇月一九日大審院刑事第三部判決、右判決に対する高窪喜八郎編法律評論第二五巻刑法五五頁-五六頁「法定刑ニ選択刑アル場合ト刑法第五四条ニ関スル同趣旨学説判例」、(ハ)同二二年(れ)一二二号同二三年四月八日最高裁判所第一小法廷判決、右判決に対する東京大学刑法研究室編教材刑法総論一五九頁-一六四頁六八項記載の評釈、右判決に対する東京大学判例研究会編判例研究第二巻第二号一二一頁-一二五頁「観念的競合の重き刑と選択の順序」と題する平野龍一評釈、右判決に対する判例タイムス第一巻第一四号一七頁団藤重光評釈、各参照。従つて本件公務執行妨害傷害の想像的競合罪に対しては其の重い刑である傷害罪の法定刑に従つて処断すべきものであることは何等疑問の余地が無い訳である。
(二) 以上の操作によつて比較決定された重い刑である傷害罪の法定刑を以つて本件公訴事実を処断するに際して原判決の如く罰金刑を選択しこれを以つて処断することは果して可能であるか。
刑法第五十四条第一項の其の最も重き刑を以つて処断すると云う意味は前記の如く数個の罪名中最も重い法定刑に従つて処断すべきものであるとの意味であつて、其の比較決定された重い法定刑に選択刑の定めある場合常にその最も重い刑のみを選択してこれを以つて処断すべきものであるとの趣旨でないことは勿論であるが、比較決定の対象となつた罪名の軽い法定刑よりも軽からざる範囲内に於いて即ちより重い法定刑に従つて処断しなければならぬと解すべきである。従つて本件の場合に於いては刑法二百四条の傷害罪の法定刑を重いとするけれども同条に定められている罰金以下の刑は刑法第九十五条の公務執行妨害罪の法定刑懲役三年以下の刑よりも軽い刑であるからこれを捨て、二百四条に定められている十年以下の懲役刑の範囲内で処断しなければならぬと解釈するを至当とする。(イ)前掲法律評論第二十五巻刑法五五頁-五六頁、(ロ)泉二新熊日本刑法論上巻総論五七八頁-五八一頁、各参照。
(三) 以上の解釈は所謂想像的競合罪の本質から理論的に誘き出される当然の結論である。この点に関して昭和二三年(れ)一九〇号同年五月二十九日最高裁判所第二小法廷の判決は次の如く明示している。「刑法五十四条が最も重き刑を以つて処断すとしたのは数個の行為が包括的に最も重き刑を以つて処断されるという意味であつて軽い罪が重い罪に吸収されて独立性を失うという意味でないことは所論の通りである。」即ち一個の行為にして数個の罪名に触れる場合である想像的競合罪は各罪の構成要件に該当する行為は一個の行為であるが実質的には数罪である。たゞその処断が取扱上即ち科刑上一罪として最も重い刑を以つて処断すると規定されているだけのことである。最も重い刑で処断するということは軽い他の罪を不問に附するということ即ち重い罪のみが成立して軽い他の罪が消滅すると云うことでは決してない。数個の罪が包括的に最も重い刑に従つて処断されると云う意味である。想像的競合罪は科刑上の一罪であるから判決の既判力は、未裁判の罪にも及ぶものと解すべきであることもまた当然の条理でなければならぬ。この故に本件公務執行妨害、傷害の想像的競合罪に刑法五十四条第一項前段を適用し最も重き傷害罪の法定刑に従つて処断する場合においては、その傷害罪に内面的に包摂されている軽い公務執行妨害罪の法定刑に罰金刑が選択刑として定められて居らないと云う制限に服すべきことは論理上当然の思惟でなければならない。若し裁判官がこの制限を無視して懲役刑を選択するか罰金刑を選択するかは其の自由裁量権の範囲内にあるとして、罰金刑を選択処断する場合には最も重き刑を以つて処断するとの規定は全く無意味に帰するものである。
(四) このことは次の設例によつても証明することが出来る。若し原判決の見解を正当とするならば、検察官が本件公訴を提起する際重き刑の傷害罪を見送り軽き刑の公務執行妨害罪のみを起訴した場合には、裁判官は当然懲役刑を言渡さなければならないのに拘らず、重き刑の傷害罪をも併せ起訴した場合には却つて罰金刑に科せられると云ふ不合理なる結果を招来するに至るであらう。又検察官が両罪を起訴した際、重き刑の傷害罪が証拠不十分である場合には、裁判官が軽い公務執行妨害罪の刑により当然懲役刑を言渡さなければならないのに反し、両罪共に有罪の場合には却つて重き傷害罪の刑により罰金刑に科せられるという奇怪なる事態を現出するに至るであらう。かかる条理に背反する法律の解釈は吾人の健全なる法律感情に照して到底容認し得るところではない。
(五) 仍つて大審院判例、最高裁判所判例につき公務執行妨害、傷害被告事件判決を精査したところ、右判決中宣告刑の記載ある判決の全部が懲役刑を以つて処断されてあり、罰金刑を以つて処断されている事例は発見することができなかつた。これを摘示すれば次の通りである。(イ)大正八年(れ)二五号同年四月二日大審院第三刑事部判決、破棄自判 懲役三月(原審徳島地方裁判所)(ロ)昭和七年(れ)一三三七号同年一二月一四日大審院第三刑事部判決、上告棄却 懲役三月(二年間執行猶予)(原審東京地方裁判所)(ハ)昭和八年(れ)八八七号同年九月六日大審院第三刑事部判決、上告棄却 懲役六月(原審静岡地方裁判所)(ニ)昭和一一年(れ)三〇六二号同一二年三月三日大審院第三刑事部判決、上告棄却 懲役三月(原審福島地方裁判所)(ホ)昭和二三年(れ)一六九九号同年四月二六日最高裁判所第三小法廷判決、上告棄却 懲役一年(原審東京高等裁判所)
以上の理由により原判決は刑法第五十四条第一項前段の想像的競合罪の本質に対する周到なる検討を怠つた結果同条の解釈適用を誤り、その違法は判決に影響を及ぼすことが極めて明白であり、かつ法律の理念である正義の観念に背反すること甚しいものであるから、この点において刑事訴訟法第三百九十七条同法百八十条により破棄を免れ得ない判決と思料する。
第二点原判決は第一点記載の如き法令の違反がないと仮定しても刑の量定軽きに失する不当な判決であると思料する。
(一) 被告人は昭和二十七年八月十一日福島市国鉄福島駅から同日午後九時三十分発奥羽本線下り第四九一旅客貨物混合列車に乗車したが、同列車が笹木野駅に到着した際、車中飲用した牛乳の空壜を同駅ホームに投げ捨てたため其の破片が散乱したので、同列車の乗務車掌渡辺春治が其の当然の職責から被告人に対し、「危いから窓から空壜を捨てないで下さい。」と注意したところ、被告人は、「誰も居らないから捨てても危くないちやないか。」と口応えしたので、同車掌は更に、「壜のかけがあると危険ですから捨てないで下さい。」と注意を与えた。被告人はこれに対し、「俺は元国鉄職員だから、ホームに物を投げてよいかどうか位は知つている。」と放言するので、同車掌は三たび、「それなら尚更注意して下さい。」と諭したところ、被告人は、「判つたからあつちに行け。」と怒鳴り返すに至つたので、同車掌は止むなく列車車掌室に引き返したのであるが、其の後間も無く被告人は列車進行中の車掌室の戸を荒々しく披いて同車掌に迫り、「おい、さつきの事もう一度言うて見ろ。」と暴言を吐いたので、同車掌は旅客が列車の窓から空壜を投げ捨てたため保線係員が怪我をした事例を挙げて説明したが、被告人は却つて、「俺は公務執行妨害でも殴つてやる。」と怒鳴り同列車が庭坂駅到着の直前「庭坂で降りろ。」と強要するので、同車掌はこれに対し、「私は庭坂駅でこの客車の入替しなくてはならないから。」と答えている間に同列車は庭坂駅に停車し、被告人は同車掌と共に下車して、「俺は峠の者だから峠まで乗せて行つてくれ。」と要求するので、同車掌は返事をせずに同駅下りホーム西端に赴いて、同列車入替作業に着手しようとした際、被告人は「車掌が居らぬか」と連呼しながら同車掌に迫つて来て「何の用事ですか」と言葉を掛けた車掌に対し、「何、此の野郎。」と怒号して同車掌に飛掛り両手で首を掴んだ後手拳でその顔面を数回強打して同車掌の列車入替作業を不能ならしめて其の公務の執行を妨害し、次いで「三ちやん、止めろ」と叫んで被告人の腕を掴んでこれを制止しようとした庭坂駅予備駅手我妻盛和に対し、「止めろなんて余計なことを云うな。」と怒鳴り乍ら下駄履の侭同人の頸部を蹴飛ばし、因つて右渡辺に対し治療日数約二週間を要する頭部顔面挫傷を、右我妻に対し治療日数七日間を要する頭部打撲擦過傷を夫々負うに至らしめたものである。
右の事実は、(イ)昭和二十七年八月十二日附渡辺春治の司法警察員斎藤稔に対する参考人供述調書 (ロ)同年同月二十二日附渡辺春治の検察官大沼新五郎に対する供述調書 (ハ)同年同月十二日附我妻盛和の司法警察員加藤長五郎に対する供述調書 (ニ)同年八月二十二日附我妻盛和の検察官大沼新五郎に対する供述調書 (ホ)同年同月十九日附被疑者武田三雄の司法警察員鈴木健治に対する第一回供述調書 (ヘ)同年同月二十一日附被疑者武田三雄の検察官大沼新五郎に対する供述調書 によつて明瞭である。
以上本件犯行の経過に徴すれば、被告人は最初笹木野駅において牛乳空壜投棄について渡辺車掌から注意されたことを遺憾に思いこれに言い掛りをつけ、同駅から庭坂駅に至る迄同車掌の数度の注意説得に対して次々に反抗的態度に出でて執拗に喰下り理不尽なる怒罵暴言を浴せかけて、最後に本件犯行に及んだことは極めて明白であるから、其の全過程を一貫して計画的な、持続的な深い悪意を以つて作為されたものと認むるに十分である。断じて偶然的に悪意なしに行はれたものと推断し得る事態ではない。
(二) 被告人の本件犯行により渡辺車掌の第四九一列車の入替作業遂行を不能ならしめこれがため庭坂駅同日午後九時五十八分発の同列車を午後十時一分発車するの余儀なきに至らしめ三分遅発の結果を招来したと云う事実は列車運行業務に重大な支障を生ぜしめたものとして関心に価する事態であると認めざるを得ない。
右は、(イ)昭和二十七年八月十二日附佐々木春美(福島第二機関区機関士)の司法警察員安斎正蔵に対する供述調書(記録三一頁)
(ロ)同年同月二十二日附佐々木春美の検察官大沼新五郎に対する供述調書(記録三三頁)
(ハ)同年同月二十三日附斎藤儀一(庭坂駅助役)の検察官大沼新五郎に対する供述調書(記録二七頁-二八頁)
(ニ)同年同月十二日附今井千万騎(福島第二機関区機関士)の司法巡査山岸城治に対する供述調書(記録三五頁)各参照によつて極めて明白である。
(三) 被告人は元国鉄職員で庭坂機関区機関助手を勤務した経験を有している者で、渡辺車掌の列車入替作業が列車運行業務上極めて重要な職責であることを十分承知しながら本件犯行に及んだものである。この事実は被告人の「庭坂駅では私の乗つて来た汽車は客貨車混合列車であり客車の方は庭坂止りであるので、入替作業と云つて客車を支線に置いて来たりする運転をするのであります。その入替作業は専務車掌はランプを持つて合図をすることになつて居り、私が車掌の処に行つたときは其の入替作業に取掛らうとする頃であつたと思います。私は車掌が勤務中であることは良く判つて居り、前申した作業をしようとしている頃であることは判つて居り私はその車掌に乱暴等をすれば自分の仕事が出来なくなることを良く判つていたのであります」との供述に徴して誠に明白であつて、本件犯行の根強い悪性を証明するものである。昭和二十七年八月二十一日附被疑者武田三雄の検察官大沼新五郎に対する供述調書(記録五六頁)参照。
(四) 被告人は昭和二十六年五月二十六日福島地方裁判所において、暴力行為等処罰に関する法律違反被告事件(所謂伊達駅事件)によつて懲役六月三年間執行猶予の判決の言渡を受け(同二十七年四月二十八日政令第二八号減刑令により懲役四月十五日に減軽執行猶予期間二年三月に短縮)、其の執行猶予期間中であるに拘らず何等改悛の情なく右犯罪と同一罪質に属する本件犯行を敢てするに至つたものであるということは、被告人が斯る暴力事犯を犯し易き傾向を有している者であるということを表徴するものであつて断じて看過することを得ない犯情である。(イ)昭和二十七年八月十九日被疑者武田三雄の司法警察員鈴木健治に対する第一回供述調書(記録四八頁)(ロ)昭和二十七年八月二十一日附検察事務官佐藤敏夫作成の武田三雄に関する前科調書(記録五九頁)各参照。
(五) 被告人は公判廷に於いては本件公訴事実につき第一の事実については牛乳の空壜を列車内からホームに投げたのではなく落したものであり、第二の事実については我妻を蹴つた記憶はない、其の当時酒を飲んでいたので、はつきりした記憶はない旨弁疏している。しかしながら、(イ)前示(一)及び(二)記載の事実、(ロ)参考人斎藤義一の供述、(昭和二十七年八月二十三日附同人の検察官大沼新五郎に対する供述調書記録三八頁)参照。「武田三雄が第四九一列車が発車してから開札口の処に居りました、私が同人に「どうした。」と尋ねると「俺が悪いんだ、公務執行妨害だ。」と云つて間もなく帰りました。武田は其の時幾らかは飲んで居りましたが大したことはありませんでした。」(ハ)参考人渡辺春治の供述。(昭和二十七年八月十二日附同人の司法警察員斎藤稔に対する供述調書記録一四頁参照)。駅本屋の前まで彼が一緒に歩き乍ら私は、「私の言い方が悪かつたからあやまります。」と云うと、彼は何も云わずにしばらくして、「君を殴つたのは悪かつた。」とか、「俺と一緒になつたのは運が悪かつた。」とか云つて、「俺は誰々と云うものだ。」と云いましたが今は覚えて居りません。私の実家の名前を聞きますので教えてやりました。(ニ)我妻盛和の供述。(昭和二十七年八月十二日附同人の司法警察員加藤長五郎に対する供述調書(記録三八頁-三九頁)参照)。「列車が発車してからホームで武田にお前に蹴られて痛いぞと云つた処、俺のところを蹴飛ばせと云つて間もなく帰りました。」を綜合して考察すると被告人は当時多少酒気を帯びていたことは認められるけれども本件犯行は是非善悪の弁識力に欠くるところのない精神状態において為されたのであることは極めて明瞭であつて被告人の弁解は自己の責任を免れようとする常套手段に外ならない。
仍つて検察官は本件犯行の特異なる情状並びに近時此の種の暴力事犯が全国的に頻発している一般社会情勢を慎重に考慮し、これに対処するため、厳罰方針を以つて臨むことを至当と認め被告人に対し懲役十月を求刑したところ、係裁判官は故さらにこれを軽減して罰金八千円に処する旨の判決を言渡したことは以上の本件犯行の悪質なる点を看過し、かつこの種特殊犯罪に対する刑の一般警戒の面をも遣忘したものであつて、刑の量定甚しく不当であると認められる顕著な事由があるのみならず、法の権威を失墜する虞あるものとして、刑事訴訟法第三九七条同法三八一条により破棄を免れ得ないものと思料する。